ジャンルにとらわれず写真を主体に発信したい
by peke001
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
以前の記事
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 07月
2009年 10月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
フォロー中のブログ
クラカメおじさんの気まぐれ写真
風来坊の「徒然なるままに...
やま悠作 日々雑感
晴チャリ雨読
じょんのび
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


一石橋

日本橋川は常盤橋の先で直角に流れを変えている。
そこにあるのが一石橋(いっこくばし・いちこくばし)です。
橋の名前は地名を充てることが多いのですが、ここは特別
「五斗+五斗で一石」との洒落から名がついたようだ※
写真クリックで拡大します、文字も読めます
e0175614_1024090.jpg

関東大震災以前のアーチ橋のものとしては、都内最古の親柱として貴重な近代文化遺産であることが認められ、
平成14年(2002年)に南詰下流側の親柱1本を中央区が区民有形文化財建造物に指定した。
e0175614_10243759.jpg
e0175614_10245136.jpg
e0175614_102525.jpg


※北橋詰の本両替町に幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰の呉服町に御用呉服商の
後藤縫殿助の屋敷があり、当時の橋が破損した際に、これらの両後藤の援助により再建された。
そのため後藤の読みから「五斗」、「五斗+五斗で一石」ともじった洒落から一石橋と名付けられたと伝わる。


もう一つ
一石橋のたもとに変った石碑が・・・(迷い子のしるべ)
e0175614_10254465.jpg
e0175614_1025552.jpg

江戸期~明治期にかけて付近はかなりの繁華街であり、迷い子が多く出た。
当時は迷い子は地元が責任を持って保護するという決まりがあり、
地元西河岸町の人々によって安政4年(1857年)2月に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」が南詰に建てられた。
しるべの右側には「志(知)らする方」、左側には「たづぬる方」と彫られて、
上部に窪みがある。使用法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、
それを見た通行人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせたという。

昭和初期ごろの写真をWeb借用しました、左上に見える橋が現在の常盤橋です。まったく変わっていませんね。
by peke001 | 2012-12-14 10:32
<< ピロリ君 日本橋川・常盤橋 >>